実世界のの90年後半のカウンターカルチャーや空気感を含ませた世界観、田島昭宇氏が描くスタイリッシュなキャラクター。
多重人格探偵サイコは何もかもが刺激的な作品でした。
ちょうどブラッド・ピットの映画・セブンが人気を博していた時代だったなと思い起こすと、この時代ならではなだと。
こんな重苦しい雰囲気を漂わせる作品が色々と出てきた時代だな、なんて懐かしく思います。
多重人格探偵サイコの魅力
この作品はの魅力は、なんといっても魅力的なのが作画をしている田島昭宇氏のリアルな画風。切れ長な目つき、陰影の効いた服装、艶めかしいまでの人体描写。
MADARA全集が出た頃の絵柄を更に昇華させたような絵柄は見ているだけで惚れ惚れしてしまいます。
このリアルな作画が、原作担当をしている大塚英志氏が用意した舞台・終わらない昭和を描いた現代と絶妙にマッチ。
物語が進むにつれて謎が明らかになりそうなのに、それよりもさらに多く出てくる新たな謎。
全体像が見えそうで見えない内容にヤキモキしながらも強く惹かれました。
サスペンス色の強いこの作品は、良い緊張感がありました。
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物語の激しい変遷
ただ、巻をおうごとにどんどん変化していく作品の様相に戸惑いもしました。
あっけなく死んでしまった主人公の雨宮一彦。
思わせぶりに登場してはあっけなく死んでいく主役級なキャラクター。
当初カリスマとして登場していたルーシー・モノストーンの陳腐な真実。
謎が一つずつ解けていくと同時に「あれ?あれれ?」と思うように。
当初のサスペンス調の物語は徐々に影を潜め、2代目の主人公である西園弖虎のアクションがメインになっていきます。
アクションの度合いが加速していった果てに釘バットを振り回し、フュージョンで合体をして日本刀と拳銃でゾンビと戦うマンガに変わっていったのは20年近く作品を追っていたファンとしては悲しかったです。
「休載に次ぐ休載で単行本の出る頻度が遅かろうとも気長に読み続けていた私への仕打ちがこれか!」なんて思ってもいました。
途中からの嫌な予感
途中から物語の結末はおおかた予想していました。
伊園磨知(伊園若女)が黒幕とわかった11〜12巻頃に、小説版の「多重人格探偵サイコ/FAKE」ような終わりを迎えるんじゃないかと。
終わりまでの過程は全く異なりますが、最終話を見たときにはなんだか既視感に問わられます。
長年待ちわびたサイコの終わりは、最終巻がでる16年も前に見た小説の内容に似たり寄ったりなものでした。
すべてを読み終えたときには膝から崩れ落ちてしまいそうになりましたよ。
これには12巻から大塚英志氏のシナリオではなく、田島昭宇氏のシナリオで進んで行ったのもある程度影響はあるかもしれませんね。
田島昭宇氏の描きたいストーリーに、使えそうな大塚氏のパーツを組み込んで作っていったと田島氏本人が語っていましたし。
大塚英志氏もMADARAで大風呂敷を広げた挙げ句に畳まずにぶん投げた過去があるので、両氏どちらのシナリオでも最後は微妙だったのかななんてことも思ったりします。
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それでも次回作には期待
それでも、サイコでは散々な結末を突きつけられても次回作には期待しています。田島昭宇氏の描くマダラが好きで、雨宮一彦が好きなので。
これから出てくるであろう新たな作品を待ちわびています。