
彼が修行した場所はイタリアの専門学校だったってご存知でしたか?
今回は、花田優一さんが修行した専門学校について書きます。
花田優一さんの修行の地
花田優一さんの修行した場所ってわかりますか?私はイタリアのフィレンツェということしか知りませんでした。
イタリアで修行か〜わざわざ単身でイタリアにわたって、工房の門戸を叩くなんて気概のある人だな〜なんて勝手に想像していました。
勝手に思い込んではいけませんね。
2017年、アナザースカイという番組で紹介されていたのですが、花田優一さんの修行の地はイタリアのアカデミアリアチという専門学校。
留学というやつですね。
イタリア時代の話ってあんまりメディアで出ていなかったので、知りませんでしたが、アート・デザインの総合芸術学園がアカデミアリアチというところです。
靴の学科があったり、カバンの学科があったり。
ファッションデザインや家具など、多岐にわたる学校なんですね。
花田優一さんがラジオ番組なんかで『師匠』『工房』なんて言葉を使うので、靴屋なんかに弟子入りしたと勘違いしていました。
ようするに、師匠は先生で、工房ってのは学校だったんですね。
スポンサーリンク
専門学校へはどうやって行く?
専門学校でも、わざわざ留学して学ぼうと思ったんですから、やはりすごいですよね〜。この学校、どうやったら行けるのかな〜イタリアに出向かないと行けないのかな〜なんて思って調べたら、学校名を検索したらヒットしました。
アカデミアリアチと検索すると、日本語向けの専門学校の案内のサイトがすぐヒットします。
海外の学校も簡単にヒットするなんて、便利。
細かい募集要項は色々あれど、行こうと思えば割と容易に留学できそうな内容ですね。
短期留学であれば、16歳以上の高校生以上でOK。
あとは英語かイタリア語、日本語ができれば留学できるようです。
しかも、短期留学の場合は日本語通訳がいるらしいので、学びやすくなっています。
言葉の壁を感じることなく、学べちゃうなんていいですね。
この学校は東京オフィスもあるので、実は結構いろんな靴職人が留学に行っているかも知れませんね。
花田優一さんは、この東京オフィスを利用して留学したのかも知れませんね。
この留学先の学校の東京オフィスのHPに、こんな紹介文があります。
HPから引用させていただきます。
革製品の本場イタリアフィレンツェの最高と言われるマエストロに、日本語通訳付きで靴製作を習います。
学校はイタリアの名門校「アカデミアリアチ」。フィレンツェ駅から3分という好立地にあります。
革製品といえばイタリアと言われるほど、世界中の人々から愛されて、優秀だと認められているイタリアの革製品。
それはまさにすばらしいデザインと最高の品質という特徴によります。
中でも靴づくりに関しては、他国のどの製品にも負けないすばらしいデザインと最高の品質を誇っています。
特にフィレンツェはグッチやフェラガモをはじめ、世界的に有名な革製品ブランド本店が軒を連ね、街を歩いても数多くの革製品を扱う店に出会う。
そしてそのようなクオリティの高い靴製品は、素材の良さ以上に職人技の技術の高さによって、イタリアの革製品の定評を形成してきた。
その大切さは、靴の店を訪れてみれば、すぐに 感じ取ることができます。
またフィレンツェの街には、靴や革製品の修理屋さんが非常に多いことに気づく。
質の良い靴を修理しながら長く愛し続けるのがイタリア人の革製品に対するこだわりです。
品質に優れたすばらしいイタリアの靴は、機械による大量生産では決してできるものではなく、一つひとつ手作業で作られます。
つまりそれだけ優秀な靴職人が数多く存在しているということです。
そして今も昔も職人がフィレンツェを支え、豊かにしてきたと自負している程の誇り高き職人達は、通常は短期間で弟子を取ることはありません。
10年、20年といった長期間でじっくり技を伝授し、後継者を育てていくものです。
通常職人になるには、革を切るのに1~2年、縫う技術で5~6年、そして熟練者のもとで学ぶこと5~6年でやっと職人として認められるという、最低でも10~12年の長い年月がかかると言われています。
引用:アカデミアリアチ
この学校の紹介にも書いてあるように、やはり靴職人としては10年位の修行の年月が必要なんですね〜。学校はイタリアの名門校「アカデミアリアチ」。フィレンツェ駅から3分という好立地にあります。
革製品といえばイタリアと言われるほど、世界中の人々から愛されて、優秀だと認められているイタリアの革製品。
それはまさにすばらしいデザインと最高の品質という特徴によります。
中でも靴づくりに関しては、他国のどの製品にも負けないすばらしいデザインと最高の品質を誇っています。
特にフィレンツェはグッチやフェラガモをはじめ、世界的に有名な革製品ブランド本店が軒を連ね、街を歩いても数多くの革製品を扱う店に出会う。
そしてそのようなクオリティの高い靴製品は、素材の良さ以上に職人技の技術の高さによって、イタリアの革製品の定評を形成してきた。
その大切さは、靴の店を訪れてみれば、すぐに 感じ取ることができます。
またフィレンツェの街には、靴や革製品の修理屋さんが非常に多いことに気づく。
質の良い靴を修理しながら長く愛し続けるのがイタリア人の革製品に対するこだわりです。
品質に優れたすばらしいイタリアの靴は、機械による大量生産では決してできるものではなく、一つひとつ手作業で作られます。
つまりそれだけ優秀な靴職人が数多く存在しているということです。
そして今も昔も職人がフィレンツェを支え、豊かにしてきたと自負している程の誇り高き職人達は、通常は短期間で弟子を取ることはありません。
10年、20年といった長期間でじっくり技を伝授し、後継者を育てていくものです。
通常職人になるには、革を切るのに1~2年、縫う技術で5~6年、そして熟練者のもとで学ぶこと5~6年でやっと職人として認められるという、最低でも10~12年の長い年月がかかると言われています。
引用:アカデミアリアチ
それを、最高峰の職人から短期間学ぼうよ〜日本人おいでよ〜というのがこの学校の特色なんですね。
コレを踏まえると、花田さんを熟練の靴職人と呼べるかはわかりませんが、靴の専門学校を卒業した靴職人見習いとは言えそうですね。
師匠はどんな人だ?
花田優一さんが師匠、と呼ぶ専門学校の先生。どんな方なんでしょうか?
気になりますよね?
花田さんのインスタの投稿で見つけました!
アンジェロインペラトリーチェさん。
私のイメージではこの人の工房に弟子入りしたんだ〜すごいな〜なんて思ってましたが、勘違いでした。
この方が講師を務める専門学校に
勝手にイメージだけ膨らませてしまって申し訳ない。
ちゃんとした事実をお伝えします。
アナザースカイを見ていると、花田さんと先生の間には物凄い絆があるんだな〜なんて思っていましたよ。
この先生のアンジェロインペラトリーチェさん、専門学校の講師を務めていて、日本からの留学も都度募集している学校なので、日本向けの動画に登場してきます。
こちらを御覧ください。
お〜花田優一さんとは違い、その道一筋という風格をひしひしと感じますね。
動画内で話していることを文字に起こしたので、動画を見る暇がない!という方はテキストをどうぞ。
名前はアンジェロ・インペラトリーチェ。
フィレンツェには54年住んでるよ。
ずっと靴職人をやっている。
工房に入ったのは11歳のときだ。
叔父さんと兄とね。
19歳でフィレンツェに来た。
それからアルビオンに入った。
Via Nazionaleにあるすごく腕の良い靴工房だ。
その後は靴工場の責任者になった。
マネッティとドゥーカ。
コレだよ、見るかい(と靴の写真を見せてくれる)
最後の20年はここで働いていた。
93年には定年退職したからね。
それから、県立の学校で教え始めた。
フィレンツェのプロ養成学校でね。
そこで9年間働いてね。
それからここに来たんだ。
アカデミアリアチにね。
そして今でも働いている。
手工芸を教えてるよ。
好きだからね。
手で靴を作るのが。
これが僕の情熱だ。
フィレンツェには54年住んでるよ。
ずっと靴職人をやっている。
工房に入ったのは11歳のときだ。
叔父さんと兄とね。
19歳でフィレンツェに来た。
それからアルビオンに入った。
Via Nazionaleにあるすごく腕の良い靴工房だ。
その後は靴工場の責任者になった。
マネッティとドゥーカ。
コレだよ、見るかい(と靴の写真を見せてくれる)
最後の20年はここで働いていた。
93年には定年退職したからね。
それから、県立の学校で教え始めた。
フィレンツェのプロ養成学校でね。
そこで9年間働いてね。
それからここに来たんだ。
アカデミアリアチにね。
そして今でも働いている。
手工芸を教えてるよ。
好きだからね。
手で靴を作るのが。
これが僕の情熱だ。
靴一筋ですね〜。
動画内で、右端にチラチラと日本人らしき人が2人ほど映りますが、こんな風に花田さんも学んでいたんでしょうか?
アナザースカイでやっていた、古き職人の師弟関係って感じのイメージとはずいぶん違いますね。
留学のコースが違うのかな?
このチラッと映っている日本人とおぼしき方達は、いずれ日本に帰国して、タレントとしてではなく靴職人として活躍するんでしょうか?
楽しみですね〜。
スポンサーリンク
おわりに
もしかしたら、世間が勝手に花田優一は一流の靴職人なんだと思い込んでいるせいで、色々と問題が発生していのかも知れませんね。専門学校を卒業して帰国後、誰かのお金で工房を構えて、ちょっと不勉強な見習い靴職人だった、という落とし所がちょうど良さそうだな〜なんて思えてきました。
もしかしたら、イタリアで専門学校卒業後、靴職人としてしっかりと働いてから帰国していたら、また違う結果になっていたかも知れませんね。
花田優一さんが過去にやらかしてきた記事はコチラをどうぞ!